日本ポパー哲学研究会発足にあたって

碧海 純一

去る1989年10月29日に駒場の東京大学教養学部で開催された「日本ポパー哲学研究会世話人会」で、「日本ポパー哲学研究会」が発足した。但し厳密に言うと、本研究会の組織が細部に至るまで決定したわけではない。運営委員(通常の学会でいうと理事)その他の任期や選任方法などについては、1990年6月に予定されている総会で本研究会の組織と運営方法が本格的に決まり、参加者の数も増えるものと期待されている。

「○○学会」、「○○協会」の名のつく組織は年々増えているが、それを実際に永続きさせて研究の実を挙げていくことは容易ではない。10月の世話人会では、(1)ポパー哲学研究上の協力・交流と普及を目的とした地味な組織とする、(2)本格的な定期刊行物を出すのは財政的に困難と思われるので、ニュース・レター的なものを発行する、(3)若い会員が海外留学するようなとき、ニュース・レターに掲載された論文が十分に評価されうるように配慮する、などの点で合意が得られた。世話人会では、偶々私が最年長だったために、運営委員代表に選ばれた。私は粗忽で組織運営には不向きな人間であるが、皆様の御力添と御鞭撻によって微力をつくして、本会の発展のために努力したいと念じている。

日本の哲学界では、欧米志向(戦前では特に独墺志向)の傾きが強く、特に海外で流行している学派がブームを起こす傾向が強い。ファッションやムードの支配する学界では、重要な哲学者がその業績に相応しい評価を得られないことが多い。その例として、エルンスト・カッシーラー、バートランド・ラッセル、およびカール・ポパーの名を挙げたい。新しいところでは、エルンスト・トーピッチュ(1919生まれ)の名を加えてもよいであろう。思想史家、特にカント研究者としてのカッシーラーは、日本でも専門家の間では相当に評価されたが、かれ自身の独創的な思想はあまり識られていない。ラッセルは、主に文筆家および平和主義者として紹介され、その論理学および哲学上の遺産はほとんど忘却されている。

ポパーは満87才の今も精力的に仕事を続けているが、その業績はおろか、その名さえも一般読者に広く知られているとは言い難い。いま大流行の「パラダイム」という表現が、ポパーとの論戦においてT. クーンが用いたものであることも知っている人は少ないであろう。カッシーラー、ラッセル、ポパーの共通点の一つを挙げれば、その文体がいずれも流麗明快であり、西洋哲学のオーソドックスな伝統に通じ、英語やドイツ語をマスターした人がこの三碩学の著作を読めば、特に注釈書を必要としないということである。もともと生粋のオーストリア人であるポパーが、1934年にニュージーランドに亡命して、戦争中骨身を削る思いで書いた『開いた社会とその論敵』を読んでまず驚くことは、その英文が明晰かつ典雅流麗であることだろう。
哲学者が「教祖」になるための一必須条件は、鬼面人を驚かすような晦渋なジャーゴンを濫発して「何ごとのおわしますかは知らねども……」という深い感銘を読者に与え、自分の著作の注釈のための訓詁的・二次的文献の出版を誘発することである。この点では前記の三学者はいずれも失格である。

幸いに、日本にも、ホンモノとニセモノとを識別し、早い時期からポパーの業績を認めてそれぞれの分野で彼の思想に共鳴しつつそれを批判的に活かして来た先覚者がいる。今回、本会の顧問になってくださった山田雄三、安井琢磨(共に理論経済学)、団藤重光(法学)、沢田允茂(哲学)の諸先生がそうである。

ポパーの批判的合理主義は、文字通り、批判的に吟味・摂取すべきものである。本会の任務も、会員がこのような立場からポパーの思想を研究し、かつ、会員相互間においても、和して同ぜず、批判的な立場でそれぞれの学問を展開する場を提供することにあると信ずる。

 

1989年12月